トークショー「水泳ニッポンを築いた男 田畑政治」

   

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2019/8/31に行われたトークショー「水泳ニッポンを築いた男 田畑政治」(朝日新聞社主催、浜松市共催・東京都千代田区のイイノホール)のレポートが掲載されています。

 戦前の日本水泳は、初出場した20年アントワープ五輪の惨敗から、近代泳法を本格的に採り入れて花開く。田畑が総監督だった32年ロサンゼルス五輪では、男子6種目中5種目で金メダルを獲得した。急成長の秘密はどこにあるのか。

 背景のひとつとして、青木さんは伝統ある「日本泳法」に着目。「水の中で泳ぐ形を習得する訓練ができあがっていたので、(近代泳法という)『速く泳ぐ形』に切り替えられたのではないか。田畑さんは日本泳法の達人でもあった」

 さらに話題は、田畑の立てた、勝つための戦略にも展開した。「組織の一本化」という考えは、その後も日本水連に受け継がれ、「ベースから頂点まで、一貫して選手養成ができるシステムができあがっています」(青木さん)。

 戦前の華々しさから一転、戦後の苦しい時代。日本は48年ロンドン五輪に参加できなかった。すると田畑は、五輪開催期間にあわせ、東京の神宮プールで日本選手権を開く。大観衆が見守る中、400メートルと1500メートル自由形で古橋広之進選手が出した記録は、いずれもロンドン五輪金メダリストを上回るものだった。

 田畑が招致に尽力した64年東京五輪、競泳は銅メダル1個に終わった。しかし、田畑は落ち込むどころか、復活への骨折りを惜しまない。強化には屋内プールが必要と、東京スイミングセンター(東京SC)の設立を働きかけた。その東京SCから出たメダリストが北島康介さんであり、登壇した中村礼子さんだ。